創立者紹介 早坂久之助
1883(明治16)年 | 宮城県仙台市に生まれる |
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1898(明治31)年 | 東京・文海尋常高等小学校卒業 |
1902(明治35)年 | 東京・日本中学校卒業 |
1905(明治38)年 | 仙台・第二高等学校卒業 |
1905(明治38)年 ~ 1911(明治44)年 | イタリア・ローマのウルバノ大学(現:ウルバニアナ大学)留学 |
1911(明治44)年 | ローマにてカトリック司祭に叙階 |
1911(明治44)年 ~ 1927(昭和2)年 | 帰国 カトリック司祭として宮城県、青森県、北海道、福島県にて宣教・司牧活動に従事 |
1921(大正10)年 ~ 1925(大正14)年 | 駐日教皇庁使節マリオ・ジャルディーニの秘書を務める |
1926(大正15)年 | 文部省の宗教制度調査会委員に任命される |
1927(昭和2)年 | 長崎教区の司教に選任される。(日本人最初のカトリック司教) バチカンの聖ペトロ大聖堂にてピオ11世教皇より司教に叙階される |
1928(昭和3)年 ~ 1937(昭和12)年 | 欧米諸国の協会・教育施設・福祉施設等を視察した後帰国。 長崎の大浦天主堂に着座。この後、長崎教区長として司祭養成・長崎純心聖母会創立・「カトリック教報」創刊・カトリックアクションの活性化・教会建築等に尽力する |
1933(昭和8)年 | 脳溢血で倒れる |
1934(昭和9)年 | 大浦天主堂の「サンタ・マリアの祭壇」前にてカトリック女子修道会「長崎純心聖母会」を創立。初代会長にシスター江角ヤスを任命する |
1935(昭和10)年 | 純心女学院を創設 |
1937(昭和12)年 | 脳溢血後の快復ならず長崎教区長を辞任。仙台にて療養する |
1948(昭和23)年 | 原爆に被災し大村に移転していた長崎純心聖母会に帰り、その歩みを見守る |
1959(昭和34)年 | 仙台のスペルマン病院にて帰天。長崎教区葬にて長崎の聖職者墓地に埋葬される |